今日は2005年1月17日です。  投稿者: カワグチタカアキ  投稿日: 1月17日(月)05時02分34秒
 あれから10年が経ちました。
 阪神淡路大震災で亡くなられた方々にあらためてご冥福をお祈り致します。
 被災されご家族や親しい方をなくされた方々に、お悔やみ申し上げます。
 今、関西の各テレビ・ラジオでは震災の時の報道や特集番組をしています。
 10年前のちょうど今、私は職場で仕事のデータを整理していました。やっとその処理が一段落ついたので、私は午前4時半ころ自宅に帰りました。帰ってい なければ大変なことになっていたかもしれません。
 当時住んでいた前の住まいで、あの午前5時46分になりました。
 「ドドーン」といったいどんな大きなものが落ちてきたのだろうと飛び起きました。直下型地震の多い和歌山市生まれの私ですが、もちろんこんな経験はあり ませんでした。
 住まいの近くでも、全壊した家屋は沢山あり、とりあえず私の住まいは軽症の半壊状態でしたが、鉄骨の建物で潰れてはしまいませんでした。また和歌山の実 家で過ごしていた頃に、何か大きなものを買うと父親は必ずどこかに固定していましたから、私も家財を買うととりあえず固定しておくのは当たり前、という感 じでしていましたから、自宅ではほとんど倒れませんでした。
 実は震災の3年前に私は引っ越していました。そこは結婚した時のアパートで思い出がいっぱいありましたから出たくはなかったのですが、昭和30年頃のア パートで、もう壊れるからと立ち退き勧告があり、引っ越したのです。でもあの時引っ越ししていなければ、今の自分はいないでしょうからそれもまた運命だっ たのでしょう。
 生まれた和歌山市を出て、西宮に来たときに一番不思議に感じたのは、国道43号線から見た、当時まだ完成していなかった阪神高速道路の高架橋でした。あ の大きな高速道路の脚が1本脚だったのです。就職して車に乗るようになった後も、43号線を通るのはいやでしたが、やはりその橋脚は自宅近くでも倒れてい ました。(修復された一本脚も、今でも嫌ですが)
 あまり報道されないので書きますが、震災の時一番頭にきたのは、おそらく報道のためのヘリコプターの飛ぶ音でした。まだまだ余震続いている中、被災状況 を撮影するのか多くのヘリコプターが、汚物に群がるハエのように飛んでいる、その爆音が地響きとなり余震の音に聞こえて不安で不安で、もうたまりませんで した。あれはやめて欲しい。飛ばすのなら救援物資を積んで近くの武庫川の川原に運んでくれるのなら許しもするが、あれは許せない。報道は共同でヘリ1つに して、飛べるものがあるなら、もっと被災が激しかった神戸や芦屋に必要物資を届けて欲しかった。
 録音音楽制作が趣味の私は、必ずヘッドフォンでモニターしながら音楽をするのですが、震災後5年を過ぎても、ヘッドフォンをすることができませんでし た。
 音が遮断されることがとても怖いのです。車を運転していてもカーステレオを聴くことができません、必ずラジオを聴いていないと・・・外の情報がないと安 心できないのです。 今でも自宅のどの部屋にも地震があればすぐに判るように振動で揺れるものを吊ってあります。
 最近、たまにめまいがあるのですが、そのたびにあの震災を想い出します。今でも飛行機やヘリの音、低い音で走る車の音でも、動悸します。
 もう10年も経っているのにPTSDのままです。まあ少しずつ程度は減ってきてはいますが。被災の程度がやや少なかった私でも、未だにほとんど毎日あの 地震のことを想い出します。

 先日朝、自転車での通勤途中に、ボーっとしていて、左右の確認することも気づかず赤信号の交差点を信号無視して通り過ぎてしまいました。珍しく車が通ら なかったので幸いだった。
 で、その直後に思ったことは何て自分の命を粗末にしているんだ、私は震災で死ななかった。亡くなった方の分も生きてしっかり働いて、世の中のために尽く さないといけない。それなのになんてボーっとしたたんだろう、と反省した。
 今生きている、私たちはしっかり生きましょう。
 そして、いつ起こるかもしれない災害に対して、出来ることはしておきましょう。

 あと何分かで10年になります。・・・がんばりましょう。

2005年1月17日午前5時

            ※もし、私のこの文章を読んで不愉快に感じた方、どうぞお許し下さい。
             また、他の災害のことを書かないことにしました。お許し下さい。